まえがき
自衛官とは戦って死ぬことを前提にした職業である。
だからこそ普段の生活において表面上はどのように振舞っていたとしても、心の奥底に特別な覚悟が無くては務まらない。
それはすなわち
自分は何のために命を懸けるのか
という覚悟だと考えている。
もちろん個々人によって捉え方の差が大きな概念であり、明確な解答など存在しないことは重々承知しているつもりだ。
そこで私自身が悩んだ経緯を明らかにすることで、何かの参考になればと思いこの記事を書くことにした。
人間の本質との相違
そもそも自衛官だけでなく、【官】と名が付くものの本質は公共への奉仕である。
中でも自衛官、警察官、消防官、海上保安官など(順不同)は自分の生命を直接危険にさらす職業である。
そういった特別な職業倫理をどのように培うのか、他省庁それぞれに工夫があることだろうし興味もあるが、ここではあくまでも元海上自衛官としての立場から語ってゆきたい。
まず前提として人間の本質は自己の保身にある。
これを理解するところから始めたい。
いや【人間の】というよりは【生物の】という表現が適切なのかもしれない。
重要なのは数ある生物の中で唯一人間だけが
理性によって自分のためだけでなく他者のために命を懸けることができる
という点にある。
そして、その行為は誰もが実行困難だと認めているからこそ尊いのである。
さて、あまり概念的な話が続くと退屈なので、ここからはやはり私自身の物語(ストーリー)をもって語るのが良いだろう。
自衛官の宣誓
かつて江田島の海上自衛隊幹部候補生学校に入校し、一定の仮採用期間を経ていよいよ任命される時のこと。
宣誓書への署名という行為そのものは特に儀式めいたこともなく、自習室で一斉に配られた用紙にサインして、書けた者から分隊長に提出するという極めて事務的な内容だったと記憶している。
自衛官の宣誓には
事に臨んでは危険を顧みず(中略)もつて国民の負託にこたえることを誓います。
という文言がうたってある。
従って、いざこれにサインする時
『これからは自分のためではなく、他人のために命を懸けなければならないのだ』
と身の引き締まる思いがする一方で、目の前に掲げられた概念が大きすぎ実感が湧かなかったのも事実である。
気持ちが大きく揺らいだ瞬間
過去の記事で述べてきたように海上自衛隊幹部候補生の日々は常に忙しい。
分刻みのスケジュールに追われる毎日を過ごす中で、宣誓書の一文はいつしか記憶の奥底に忘れ去られていった。
入校から数か月が過ぎ制服もすっかり板についた頃、機関実習のため横須賀の第2術科学校へ行くことになる。
いわば短期留学のようなものである。
普段は江田島という閉ざされた空間で生活している我々幹部候補生にとって、久しぶりに都会の空気をたっぷりと吸えるチャンスが到来したのだ。
せっかく上京したこの機会を有効活用するため、東京で勤務していた母方のいとこに連絡を取り、休日に新宿で会う約束をした。
いとこに指定された待ち合わせ場所は新宿東口のアルタ前だったのだが、 今となっては電車の乗り継ぎも含めどうやってその場所を調べ辿りつたのか不思議でならない。
なにせ当時はスマホはおろか携帯電話さえなかったのだから。
しかし、既に自衛官の悲しい習性【時間厳守】を身に着けていた私は、約束の時間よりもかなり早く到着し、アルタの前に佇みながら行き交う人々の姿を見るとはなしに眺めていた。
そこは日本でも有数の歓楽街である新宿歌舞伎町の入口という場所柄、また休日の夕方ということもあって実に多くの人たちで賑わっていた。
その時に突然心に湧き上がった疑問が
『この国(この人たち)を守るために自分の命を懸けなければならないのだろうか?』
『この国(この人たち)にそんな価値があるのだろうか?』
というものであった。
もちろん強烈な否定的響きを伴ってである。
恐らくその場所には、守るべき対象としてイメージされる
【美しい山河】
【慎ましく暮らす善良な人々】
とは真逆の風景が広がっていたことが原因だと思う。
『こんなもののために、これから先も自分は努力を続けられるのだろうか?』
自分のことだけでなく、先の大戦で失われた多くの犠牲の代償が、この程度のものだったのだとしたらあまりにも虚しく思えて仕方がなかった。
この時覚えた強烈な虚無感によって機関実習の最終試験を白紙提出、多くの教官にご心配をかけた経緯については既に書いた通りである。
そして、これはかなり真剣に退職を考えた最初の出来事となった。
私が拠り所として選んだもの
幸いなことに海上自衛官にはこの種の悩みを解決できる場所がある。
江田島の教育参考館がその代表的な存在であろう。
幹部候補生として、また中級水雷学生として江田島に在校している期間だけでなく、艦艇勤務になっても江田島に入港する機会があれば必ず足を運んだ。
ここには先人たちが残した多種多様な解答が収められており、他の何物にも代えがたい価値があると考えていたからに他ならない。
かつて特攻隊員が強制的に死を選択させられたかのようなプロパガンダが盛んに行われた時代もあったが、この場所を訪問して自分の目で一度でも彼らの遺書を読めば本当のことが分かる。
彼らに共通している想いは幼い兄弟姉妹を想う気持ち、両親への尊敬と感謝の気持ち、そしてその愛する人々が暮らす故郷の未来を守りたいという純粋な気持ちだと捉えている。
そういった自分以外の他者に対する想いの延長線上にこそ【この国を守る】という大義が存在しうるのである。
これは時代を超えた現代においても通じる普遍的な概念だといえる。
このような教育参考館の各種資料や、その後の部隊勤務における経験によって私が最終的にたどり着いた心の拠り所は
『連綿と続いてきたこの国の歴史に殉じよう』
ということだった。
国が滅ぶときに誰も殉じるも者がいなくては先人に申し訳なく、後世の日本人に対しても恥ずかしい思いをさせると考えたからである。
あえて未来ではなく過去に殉じようと結論付けたのは、自分自身に将来を託すべき子供がいないことも無縁ではない。
導き出される解答は人によって年齢や立場によっても変化するもの。
だが是非とも各人が自分にとって納得のいく心の拠り所を探して欲しいと切に願う。
記事のまとめ
ここ最近は我国を取り巻く国際情勢の変化が著しいですね。
しかし、そのことを肌で感じつつも
『まさか自分が生きている間に戦争に巻き込まれることなんてないだろう』
『自分のところにはミサイルは飛んで来ないだろう』
などという根拠のない楽観的な雰囲気が大勢を占めているように思えます。
いやむしろそう思い込むことによって、現実から逃れようとしているのでしょうか。
穢れを遠ざけることによって、己の身を守ろうとする言霊思想はとても日本的だと思います。
ですが、どんなに目を反らしたとしても現実は無慈悲に襲って来るもの。
いざという時に自分はどのように考え、どのように行動するのか。
そのことは自衛官だけでなく、国民の一人一人が事前に向き合っておくべき時代でもあります。