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前回に引き続き、分隊会の話題について語りたい。

 

今回の話題は『分隊長』についてである。

 

幹部候補生学校では約30名で1つの分隊を編成しており、私が所属していたのは第3分隊であった。

 

分隊には『分隊長』と呼ばれる、通常の学校でいうところのクラス担任のような『先輩』が配置されている。

 

そう、まさにこの点が通常の学校の『クラス担任』とは異なる点で、幹部候補生学校を卒業した瞬間にそれまでの『分隊長と分隊員』という関係から、おなじ海上自衛隊で勤務する『先輩と後輩』という関係になるわけだ。

 

学校を卒業すればそこで終了という関係ではなく、むしろそこから先に部隊で肩を並べて勤務するという前提があるからこそ、より深い愛情を持って分隊員に接することができるのだと想う。

第3分隊長

我々第3分隊の分隊長は期別でいうと84幹候で8期先輩に当たる。

(我々は92幹候と呼ばれる。入校時の西暦下2桁で表現する方法)

 

年齢的にも『担任の先生』というより『先輩』あるいは『兄貴』という感覚がしっくりくる。

 

分隊長の特技は回転翼パイロットで階級は一等海尉であった。

 

他分隊の分隊長についても紹介すると、特技は『艦艇』『潜水艦』『経補』とバランスよく配員されており、階級は三等海佐から二等海尉といった陣容だった。

 

今から当時を振り返ってみても、分隊長の人格が分隊員に与える影響は極めて大きいとつくづくそう思う。

 

その分隊のカラーは分隊長によって決まるといっても過言ではあるまい。

 

特に我々のような一般大出身者にとっては、実質的に初めて身近に接する海上自衛隊幹部となるのだから、ひな鳥が最初に目にした対象を親鳥と認識するように、生涯に渡って大きな影響を受けるものである。

 

そういう観点から改めて各分隊長に思いをはせると、なるほど海上自衛隊の『人事の妙』というものを感ぜざるを得ない。

特別な絆

そうはいっても、入校早々から自然発生的に人間関係の絆が強く結ばれるわけではない。

 

分隊長という配置の特性上、どうしても『引き締め』や『小言』を言わざるを得ないからでもある。

 

だからこそ、入校当初の分隊長は分隊員にとって『煙たい存在』であったことは否めない。

 

しかし、ある事件をきっかけに関係性が急変したのである。

 

もちろん、良い方向に。

 

この事件の細部ついては様々な問題を含んでいるため、かなりオブラートに包んだ表現になってしまうことを最初にお詫び申し上げる。

 

少なくとも、当事者たる私の同期諸氏がきれいさっぱり定年退職するまでは公に語ることに憚りがある。

 

事件はとある夏の日に学校の敷地外で発生した。

 

登場人物は我が分隊長、分隊員の一部、そして幹部候補生学校の高官である。

 

その日は週末ということで外出が許可され、分隊長は一部の分隊員達と飲食をともにしていた。

 

そして、そこに偶然居合わせた高官から同期分隊員に対する侮辱的発言があったのだ。

 

酒席とはいえ、人格を否定するようなその発言に対し、同席していた分隊長が猛烈に抗議したというのが事件のあらましである。

 

高官は一等海佐。

 

分隊長は一等海尉。

 

階級にして3階級、キャリアにして20年以上の格差があった。

 

その抗議が階級社会である自衛隊においてどれほど危険な行為であるか理解できるであろうか?

 

ともかくこの事件をきっかけに分隊長と分隊員の絆は非常に強固なものとなった。

 

我々分隊員は分隊長の深い愛情を感じたからである。

 

いざとなったら身を挺してでも我々に味方してくれるということを実感できたからに他ならない。

 

『士は己を知る者のために死す』

 

こう言うと少し大げさな表現になってしまうかもしれないが、その当時の我々の気分を良くあらわしている言葉だといえる。

 

もし、これが統率の真髄なのだとすれば、分隊長は自身の行動によって大いなる教訓を我々に示したことになるだろう。

分隊会のもう一つの目的

今回の分隊会開催の目的として、分隊長の退官を前に出来るだけ多くの分隊員を集めて顔を見せたいという趣旨があった。

 

退官といっても、まだ8ヶ月先の話ということもあって

 

『ちょっと早すぎるのではないか?』

 

という意見も出ていたが、ちょうど中央での勤務者が多いこのタイミングを逃してはなるまいということで開催されたのだ。

 

会には分隊長の奥様にも参加して頂き、分隊員からささやかな記念品と寄せ書きを進呈した。

 

現在、海上幕僚監部において『課長』とか『班長』などの肩書を持つ者も、江田島時代は分隊長宅に押しかけ朝まで飲んだくれた挙句、奥様の運転する車で幹部候補生学校に送り届けられたという過去を持つだけに終始平身低頭であった。

 

ある意味、あの分隊会における最高権力者は分隊長の奥様だったのかもしれない(笑)

この記事のまとめ

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実は私自身、分隊長にお会いするのは昨年の夏以来一年ぶりであった。

 

多少髪に白いモノが混じってはいるものの、江田島時代と変わることない若々しさを保持されており、我々分隊員と交じって座っているのを第三者がみれば、誰が定年によって退官するのか判断に苦しむだろう(笑)

 

私にとって一番印象に残っているエピソードは、幹部候補生時代に夏季休暇で実家に帰省した際、分隊長から私の両親に宛てて暑中見舞いのハガキが届いていたということだ。

 

両親はそれをとても喜んでいて

 

『海上自衛隊に入隊させて本当に良かった』

 

と語っていた。

(実は母親は最後まで入隊に反対していたという経緯がある)

 

この時の感動が強く私の心に残っていたため、後に自分が護衛艦の第一分隊長となった時、教育隊を修業して着任してきた初任海士の実家に暑中見舞いを送るという行動に繋がっている。

 

当時、初任海士のご父兄から返信頂いた手紙を今でも大切に保管しているが、その中で共通して述べられていたことは

 

『我が子がどういう環境で勤務しているかということがよく分かり、とても安心しました』

 

ということであった。

 

『自分がされて嬉しかったことを、今度は自分が誰かに行うこと』

 

海上自衛隊の伝統は、そうやってこれからも続いていくのだろうと思う。

 

それでは、今回もここまで記事をお読み頂きましてありがとうございました。

 

また、次の記事でお会いしましょう。

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