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私は自衛官として任官する際に

私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。

と宣誓しているため、政治的な主張をすることに対して、今なおトラウマがあります。(三つ子の魂百まで・・・ですね)

 

そのため、このブログでは、意図的に政治的な主張は控えてきたつもりです。(炎上の元になりそうですし)

政治的な主張があまりに強くなりすぎると、途端に【生臭さ】がでてくることを避けたかったからでもあります。

しかし、トラウマを克服する意味においても、一度きちんとした形で政治と軍事について正面から向き合い思うところを述べたいと思います。

それが軍事に従事して、民間に戻った者の責務だという考えに至ったからです。

 

かつて共和制ローマにおいては、国家の代表たる執政官として選出されるまでに、政務と軍務を交互に歴任するのが常でした。

それゆえに平時は政務の最高権力者として、また、戦時には軍団の最高指揮官として職務を全うできたのです。

もちろん、古代ローマと現代日本を同一に語るには、問題が多いということは理解しているつもりです。

 

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しかし、戦争というものが政治の一つの手段である以上、政治家が軍事を知らないということは、本来許されることではないはずです。

この点において、我が日本国は世界に類を見ない稀有な国家だといえます。

軍事の本質を理解した政治家がほとんど存在しないのですから。

もっともその原因は、政治家を選出する国民が軍事を正しく理解できていないことに起因しているのです。

これについては、【学問としての軍事学】として別途記事を書きたいと思います。

 

話を元に戻します。

軍事というものは、独立国家に必要不可欠な暴力装置であります。

ゆえにその使い方、使われ方に十分に注意するためには、国民一人一人がしっかりと軍事に対する正しい知識を身に着ける必要があると考えています。

 

戦争は、人間がこの世で行う最も悲惨な行為の一つであることは疑いもない事実です。

殺す側も殺される側も、必ずしも自らの意思で行動しているわけではないからです。

ここに悲劇の要素があるのです。

 

そんな戦争を回避するために、国家間で話し合いをすることが外交です。

外交が成り立つのは、うかつに攻め込んだら手痛い反撃を食らうということが予想されるからであって、もし仮に相手が丸腰だったとすれば外交の手順など省略して攻め込んでくるでしょう。

 

戦後70年に渡って日本が独立を保っているのは、日米安保に基づく米軍の軍事力と自衛隊の存在にあることは疑いようもない事実です。

憲法9条によって戦争を放棄しているから、相手が敬意を払って攻撃してこなかった訳ではないのです。

戦争を永久になくすためには、他国の侵略意図を完全に断念させるほどの圧倒的な軍事力が必要だという現実を直視しなければなりません。

自ら率先して無防備状態になることが、戦争回避に繋がるなどというのは幻想に過ぎませんし、もっと単純に言ってしまえば『それを臨む勢力』に利用されているに過ぎないのです。

 

このことを端的に表しているのが、最近の世界情勢だといえます。

ここ数年で世界情勢が不安定になった最大の要因は、かつて世界の警察として絶対的だったアメリカの軍事的支配力が低迷したことに起因しているのです。

アメリカは強大な軍事力を長年維持してきたことが経済的な疲弊に繋がり、逐次軍事規模の縮小を余儀なくされました。

しかし、同時に戦争によって利益を得る勢力の思惑によって、世界各地に紛争の火種をまいた責任は決して小さくありません。

このことは、歴史の中に必ず記憶されることでしょう。

 

このように、現在進行形の国際情勢を公正に見ようとすれば、軍事の重要性に気付くことができるはずです。

ただし、メディアのバイアスがかかった報道内容を精査して真実に近づくためには、ある程度の訓練が必要だと考えています。

幸いにして、近年はインターネットの普及により既成の報道機関だけでなく、様々な主義主張を持つ人々の意見に触れることが可能となりました。

柔軟な思考を有する真の市民国民となるため、公正な判断力を涵養してゆきたいと考えます。

 

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