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前回の記事で

「私は憲法改正論者である」

と明言いたしました。

(参照先:「彼を知り己を知れば百戦危うからず」

憲法と自衛隊の関係はどうなのか、また私たち国民はこれからどうあるべきかについて、私の主張するところを述べたいと思います。

普段はなかなか正面から向き合う機会の少ない憲法問題ですが、これを期に一度じっくりと自分の意見を構築するためにご利用頂けたら幸いです。

 

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日本国憲法第九条の解釈

日本国憲法の第二章として第九条は以下の二項によって構成されています。

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  出典元:Wikipedia

 

第二章は『戦争の放棄』という章名で唯一この第九条のみで構成されており、日本国憲法の中で我が国の安全保障(の放棄)について記載された唯一の条文です。

歴代の政府見解によれば、自衛隊はこの第2項でいう『その他の戦力』に当たらないとされています。

ですが、改めてこの短い条文をよく読んで、自衛隊の現有装備、人員、予算を考えてみれば、どのように名称を変えても『陸海空軍』以外の何物でもないことに気が付くはずです。

つまり、憲法に照らし合わせれば自衛隊の存在は違憲であるというのが私の考えです。

ここが分岐点で、この先に大きく異なる2つの考え方があります。

 

その1つが、

「自衛隊は憲法違反である。だから、自衛隊は解散するべきだ」

という意見です。

この意見の重大な欠陥は、

「では、自衛隊を廃する代わりにどうやって国と国民の安全を担保するのか」

という基本的な事項について全く触れられないことにあります。

未だかつてこれに対する現実的な対案を耳にしたことはありません。

(憲法の前文で説明されている『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』というのは現実的とはいえません)

 

人間が死後に訪れるとされる『天国』という精神世界は、もしかするとこのような理想的な世界なのかもしれません。

ですが、我々が暮らすこの現実世界では、残念ながらこのような理想を夢見ている暇はありません。

この戦後70年というまれに見る平和な期間(実状は異なるが)は、日本国憲法の説く理想によってではなく、違憲だと承知の上で整備を進めてきた自衛隊という軍事力及び在日米軍のプレゼンスによるものだと考えています。

これは私が海上防衛の実務に13年間従事してきて肌で感じてきた感覚でもあります。

 

また、この問題は

「じゃあ、試しに一度自衛隊を解散してみるか」

という訳にはいきません。

丸腰になって改めてその必要性を感じたとしても、一朝一夕には整わないのが軍備なのです。

特に海上戦力の整備は昔から『国家百年の計』といわれるくらいに、人的及び物的整備に多大な時間を要します。

故に海上自衛隊(発足時は警備隊)には海軍出身者が多く採用されて、その知識と経験を途切れることなく伝承する必要があったのです。

現在の海上自衛隊は、江戸幕府の海軍創設から実に170年に渡って連綿と続く歴史と伝統によって支えられているわけです。

 

もう一つの考え方は

「憲法を改正し、自衛隊を国軍と認めること」

であり、私の選択する道であります。

こういっただけで、アレルギー反応(ヒステリー反応?)を起こす人たちも存在しますが、これは独立した主権国家たる基本的な要件の一つに過ぎません。

また、自衛隊を国軍にと書きましたが、別に名称を陸海空軍にするべきだといっているのではありません。

護るべき本質が正しく国と国民であれば、名称にこだわる必要はないと考えています。

 

本来あるべき自衛隊と国民の姿とは

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戦勝国側から渡された憲法草案(その行為自体が国際法違反であるにも関わらず)を後生大事に一度も改正することなく、約70年にわたって堅持してきたことにこそ違和感を感じるべきです。

現在の日本国憲法の基本的理念については、高潔で非の打ち所のないものだと認めています。

(たとえそれが押しつけられたものを起源としていても)

憲法改正はこの理念を変えろと言っているのではなく、現実的に欠落している我が国の安全保障に関する条文を制定すべきだと言っているに過ぎません。

 

憲法を改正し自衛隊を国軍と認めるからには、私たち国民は従来よりも高い意識を持つことが求められるということを覚悟しなければなりません。

私の個人的な意見になりますが、日本人の特質として『殿様依存願望』という意識があるように思えます。

「誰かがきっと何とか(いいように)してくれるだろう」

つまり、様々な問題を自分たちで考えて解決策を模索するよりも、名君といえるような統治者によって上からバッサリと解決してくれることを望むというものです。

この考えは多くの2世3世議員を生み出し、政治の世襲化を容認してきた温床であるともいえます。

このような楽で気持ちの良い立ち位置を捨て、自らの頭で物を考えて実行する真の国民になることが求められているのです。

 

先の大戦で敗戦国となった国は一様に敗戦の責任を一部になすりつけ、自分たち無垢な国民は騙されていただけなんだと思い込もうとしました。

そうすることが自我を守る最も心地よい手段であり、また、GHQはそのことを熟知していてそれにつけ込んで占領政策を進めたからです。

ドイツは『すべてはナチスが悪かった』と主張していますし、この論法は日本では『すべては軍首脳部が悪かった』というものと同じであります。

これは、一見反省しているようで実は責任を切り離して現実逃避しているに過ぎないのです。

ドイツにしても日本にしても国民の選挙によって選ばれた政党政治の態勢下で行われた戦争だということを忘れてはなりません。

国民が望んだ戦争という一面があることを忘れてはならないのです。

 

ここ最近の国会中継を見ていると、国会議員の資質低下には目を覆いたくなるばかりですが、政治家は国民のレベルを正しく投影しているわけですから、これが現状の私たち日本国民のレベルなのだと認める必要があるでしょう。

その上で一人一人が基本に立ち返り、政治に対する意見を持ち、選挙によってそれを国政に反映させることが求められるのです。

 

現在の日本を取り巻く国際情勢は非常に厳しいものとなっています。

例が適切であるかどうか分かりませんが、黒船が来航して開国を迫られた幕末の日本に匹敵する危機的状況にあると考えています。

実際問題として周辺諸国により、日本の領土、領海、領空は侵犯されているという現実をどのくらい切実に捉えているでしょうか。

日本国民の財産は不当に搾取され、また、国家主導による拉致監禁という卑劣極まりない犯罪行為によって多くの日本人が囚われたままの状態に置かれているのです。

 

このような現実を直視することなく、自分の安全は保障されていると考えることができますか?

あなたが真の現実に目覚める時はいつですか?

自分や自分の愛する者が目の前で為すすべもなく殺される時ですか?

その時になって、戦争は自分たちが望まなくても起きるということに気がついても遅いのです。

 

以前の記事にも書きましたが、政党の主義主張と国家の安全保障問題は切り離して考えられるべきものです。

政権与党の意見に反対したいからといって、安全保障を放棄するような意見が出てくること自体非常に可笑しな話だということに気が付かなければならないのです。

日本国の国会議員たる者が、国と国民を護るべき安全保障を丸裸にしようとしている姿を見て、奇異に感じなければなりません。

同時に彼らがどこの勢力の利益を代弁しているのか、しっかりと見定める必要があるのです。

 

私たち日本国民がやるべきことは

  • 自分の頭で考えて行動する真の国民(市民)となること
  • 選挙によって真っ当な人材を国政に送ること
  • 自分たちの自衛隊(軍事力)なのだという意識を持って、客観的に監視すること

 

これができれば、この未曾有の難局を乗り切ることができると考えます。

日本国と日本人は過去にもそうやって幾度も難局をしのいできた実績がありますから、その子孫たる私たちも同じことは実行可能なのです。

これは何もナショナリズムによってではなく、日本という国を愛し、日本という国の目指す未来に賛同する人たちによってなされるべきものだということです。

この要件を満たす限り、人種や国籍さえも関係ないというのが私のスタンスです。

一連の安保関連法案が可決され、日本はようやく独立した主権国家としての半歩を踏み出しました。

これを機会に我国の憲法や安全保障について、今まで見過ごしてきた部分にもしっかりと目を向け内容を再確認し自分の意見としてまとめてみました。

 

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