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自分の身銭をきって新聞を定期購読しなくなってから久しいのですが、職場に新聞が置いてあるため何気なく読んでいて感じたことをお話しします。

また、この記事を書こうと思った動機は、現在進行形で安保法制をめぐる一連の報道を見ていて正直辟易したからに他なりません。

いつもは政治的な主義主張は意識的に避けていますが、今回は例外的に書かせて頂きました。

 

タイトルの『彼(敵)を知り己を知れば百戦危うからず』とは古代中国の有名な軍師である孫子の兵法書にかかれている一説です。

最早、解説不要なほど有名な言葉でありますが、何千年も前に書かれたこの兵法書には人間の行動原理の全てが網羅されているといっても過言ではないでしょう。

学生時代に夢中になって読み漁った本の1つがこの『孫子』でした。

近代の戦闘は複雑化しており必ずしも適合しない内容も含まれていますが、戦争や戦闘の本質という部分は不変であり現代においても十分に通用する内容だと確信しています。

では、この格言に基づいて話を進めていきたいと思います。

 

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彼(敵)を知ること

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最初に『相手を知る』ことが説かれていることが自分にとっては意外でした。

「えっ?まずは自分じゃないの?」

とも思いましたが、相手を知ることによってそれに対応すべき自分の在り方を変化させる必要があると考えれば納得できます。

 

冒頭で紹介した『新聞』を例にとって述べていきたいと思います。

護衛艦の士官室には大抵複数の新聞が定期購読されていたと記憶しています。

(航海中は共同通信のFAXのみ)

その中の1つには、最も主観が異なる新聞社のものが必ず含まれており、

「なんで、こんな新聞を取るんだろう?気分が悪い」

と思っていましたが、これが所謂『彼(敵)を知る』という部分に相当することに気が付いてからは、同じ記事でも複数紙を比較して読む癖をつけました。

(あくまでも個人的な解釈であり、組織としての総意ではないことはいうまでもありません)

 

自分の父親世代と話をすると、新聞に書かれていることがすなわち真実だと誤認している人が多いことに驚きます。

かくゆう自分も高校生の頃までは同じように信じ切っていたので、心当たりは十分にあります。

しかし、新聞を含めた各種情報発信媒体は事実を主観に基づいて編集し構成しているに過ぎません

(主観を優先するあまり、事実をねつ造することにも罪悪感すら感じない新聞社には最早いうべき言葉も見つかりませんが)

それ故に全ての情報は事実であっても真実ではないという認識を確立させる必要があると考えています。

 

このような観点から改めて新聞を読むと、その記事がどういう意図を持って書かれているのか見えてきます。

具体的にはどういう勢力の意を酌んで、書かれた記事なのかということが良く分かるようになるわけです。

私自身は安保法制以前の問題として憲法を改正すべきだと考えているので、現在行われている審議がもどかしく感じますが、戦争をしない(拡大しない)ために制定しようとしている安保法制を『戦争法規』と断じて、あたかも戦争を引き起こすかのような印象操作を行うことに憤りを感じます。

このような動きを見ていると彼(敵)の焦りも相当なレベルに達していることが実感できるので、個人的にはどんどん好きなだけ墓穴を掘ってもらいたいと思っていますが、あまりにも度を越した報道や行動を目の当たりにするとさすがに気分は良くないですね(笑)

 

己を知ること

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次が己を知るということですね。

これは個人ということに留まらず、目的を同じくする同胞全般という意味で解釈しても差支えないでしょう。

彼(敵)がどういうものであるのかを見定めた以上は、それに対して最も有効に対応できる形態を目指すべきでしょう。

戦闘の形態を例にしても、時代とともに日々変化を続けています。

これに適切に対応するためには、己も彼の変化に遅れずに変化し続ける必要があるのです。

 

また自分自身のことだけでなく、日本という国のことや日本人の特性についてできるだけ正確に理解することが必要です。

自分たちの弱点を真摯に受け止め、逆に強点を最大限に生かして対応することが最終的に目的を達成することの近道だからです。

 

百戦危うからずということ

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最後に説かれている言葉ですが、非常に重要ですね。

何度戦っても負けない準備をした上で、戦わないことの重要性を説いているのだと思っています。

そして、このことは自衛隊の『あるべき姿』を見事に象徴していると感じます。

『伝家の宝刀』は抜かずして相手をけん制できるものでなければなりませんし、いざ抜いた時に中身が錆びだらけではならないのです。

 

『不戦の決意』と『防衛力の整備』は両輪の如くあるべきです。

どちらかが不十分であれば、悲劇的な結果を招いてしまうことを認識すべきなのです。

本来『自国の防衛』とは政治的な主観とは別次元で成立すべき問題であるにも関わらず、敗戦以来、様々な勢力の思惑によって不当に歪められてきました。

今この歪みを矯正し、自立した国家としてあるべき姿に立ち返ろうとしているに過ぎません。

 

自国の防衛を放棄した結果として、他国の支配下で全ての自由や資産を奪われ奴隷のように生活することが望みならばそれも良いでしょう。

本当にその覚悟ができているのなら。

国や民族は不滅ではありません。

世界史を学べばそんな例はいくらでも見つかります。

ローマと戦った後のカルタゴはどうなりましたか?

国を失ったユダヤ民族は数千年に渡ってどのような扱いを受けてきましたか?

私たち日本民族もこの日本という素晴らしい国土を追われて、これから数千年に渡って放浪を続ける覚悟がありますか?

再びこの地に戻れるという保証などどこにもない長い放浪の旅路へ。

 

そうならないために、自衛隊は日々黙々と訓練に励んでいるのです。

決して抜かない宝刀であり続けるために、技に磨きをかけているのです。

そんな姿は孫子のいう

『彼(敵)を知り己を知れば百戦危うからず』

という精神そのものだといえるでしょう。

 

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