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私が海上自衛隊を退官してから既に10年という月日が経過した。

 

現職時代にはよく耳にし、また、口にも出したが、民間人になってからは一度も出会わない言葉というものがいくつかある。

 

その中の一つが『正規分の正規』という言葉だ。

 

改めてこの言葉の持つ意味について考えてみると、実によく自衛隊という組織を象徴しているように感じる。

 

もちろん、『正規分の正規』という考え方が大筋において善であることは間違いないのだが、それ故に陥りやすい罠があると考えている。

 

なお、この記事はかなり繊細な部分に焦点を合わせることになるため、言葉を選びつつ慎重に書くつもりだが、それでも言葉が足りず読者によっては真意を誤認する可能性が高い。

 

つまり、読み手に行間を読み解く努力を強要する記事(記事のあり方としては極めて邪道)だということを予めお断りしておきたい。

二つの意味

『正規分の正規』

この言葉が使われる状況としては、大きく分けて二通りのパターンがある。

 

まずは、肯定的な使用例として

『この問題については正規分の正規で取り組む』

 

この例は、本来あるべき手段手法(たとえそれがどんなに手間のかかる方法だとしても一切の手抜きをしないこと)によって対処するといったニュアンスで使用したものだ。

 

『面倒でも手抜きをしない』というのは『愚直』に通じており、自衛隊では比較的好ましい意味合いで使用される言葉の一つである。

 

次に、否定的な使用例として

『あの上司は何事も正規分の正規でかなわん』

 

これは要するに『何事に対しても融通が利かない』といった揶揄が含まれた使用例である。

 

そして自衛隊には『善意に基づく正規分の正規な人物』が数多く存在している。

 

これについては自衛隊特有のパワハラにも関連していると考えているので、後程詳しく述べることにする。

平時と有事で異なる資質とは

ここからは問題を明確化するためにややデフォルメした構成になるが、現実はそんな単純なものではないということは言うまでもない。

 

平時の自衛官というのは、特別国家公務員という身分が示すとおり官僚としての側面が強い。

 

だからこそ、ルーティーンワークにおいては何事も規則と慣例が重んじられることとなる。

 

しかし、一旦有事になると状況は一変する。

 

自衛隊が自ら有事を生起させることがない以上、有事は常に敵の侵入をもって開始される。

 

つまり、有事とは事の発端から不規則な事象の連続なのだ。

 

こうなると、平時に最も有用とされてきた『規則に従って淡々と判断し処理する能力』だけでは適切な対処はできない。

 

ここから先に必要となるのは『臨機応変』という能力だからである。

 

だか、普段からあまりにも官僚的な業務処理に慣れ過ぎてしまうと、この『臨機応変』という能力は著しく損なわれてしまう気がしている。

 

『正規分の正規』とは一切の例外を認めないことで成り立っているからだ。

 

この辺りのニュアンスについては以前の記事

『指揮官に求められる人格とは』

でも紹介したが、指揮官とは平時は有能な官僚として淡々と業務処理しながらも、いざ有事の際にはあらゆる不測事態に対しても臨機応変に対応するというアクロバティックな能力を求められる存在である。

 

これは常日頃から超人的な自覚と修練によって練り上げる性質のものである。

 

なお、指揮官にこういった普段からの自覚と修練が欠如していた場合、どのような事態に陥るかについて考察するには、『阪神淡路大震災』及び『東日本大震災』において当時の首相がとった行動を参考にすれば良いだろう。

 

権限の大小はあれども、およそ指揮官と名の付く人間には『本来助かるはずの生命を助ける義務』が伴うということを忘れてはならない。

善意に基づく正規分の正規な人物とは

この記事の最初に述べた『善意に基づく正規分の正規な人物』について改めて述べてみたい。

 

自衛隊にはこのタイプが少なくないし、それは一つ間違えるとパワハラに繋がってしまうと考えるからだ。

 

『善意に基づく』という枕詞のとおり、その人の本質は『善』である。

 

上司同僚部下を問わず、自衛隊で知り会った人はその本質において善である人が多く、孟子の説く『性善説(人間の本性は基本的に善である)』にも大いに納得できるものがある。

 

そういう人々は、まずもって『生真面目』といっていいくらい真面目であり、自分に対しても厳しく、努力を惜しまないので能力も高いという特徴を有している。

 

しかし、これが実に厄介なのである。

 

『自分ができたことは他人もできる』

という想いが強過ぎるからだ。

 

自分が生まれつきの才能などではなく、努力によって物事を成し遂げてきたという自覚のある人は尚更この傾向が強い。

 

だから部下の失敗を『努力が不足』していることに結論付けてしまうのである。

 

確かにそういった要素は否定できないが、肝心なことが欠落している。

 

部下の失敗の原因(努力や能力の不足)を現在の自分を基準として測っているということだ。

 

現在の自分とは、長年の経験によって知識の裏付けがされている存在である。

 

一方で過去の自分に対する記憶はどうしても美化されがちだ。

(頑張った自分だけが記憶に残り、ダメだった自分の記憶は消去されてしまう)

 

このことを前提に

『自分自身が現在の部下と同年齢同階級だった頃どうであったか』

と自問自答してみれば、実は大差ないのだという自覚を持った方がいい。

 

自衛隊におけるパワハラの特性は、相手を潰してやろうという悪意に基づくものではなく、部下を現在の自分と同じレベルに引き上げようとすることで生じる歪だというのが個人的な見解である。

記事のまとめ

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『最近の若いヤツは』

という常套句があります。

 

自分が若い頃は散々言われてきた言葉でもあり、年齢を重ねた現在ではつい口にしそうになる言葉ですね。

 

その背景には、本文で述べたような過去の自分の努力に対する美化があるのだと思います。

 

言うまでもなく『正規分の正規』というのは大事な要素です。

 

ただし、全てにそれを適用して済ませていると、思考の硬直化に繋がると危惧するものです。

 

それは有事における柔軟な対応力の欠如や、部下に対するパワハラを招きかねない毒を含んでいるということを問題提起してみました。

 

一見別次元のことに思えることが、実は根っこの部分では繋がっているという展開にしてみましたが、上手く伝わったでしょうか(笑)

 

冒頭で述べたとおり、少々極端にデフォルメした内容の記事となりましたが、小なりとも人を指揮する立場にある人に一度は深く考えてもらいたいという思いから今回の記事を書かせてもらいました。

 

それでは、本日もここまで記事をお読み頂きましてありがとうございました。

 

また、次回の記事でお会いしましょう。

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