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このブログを書き始めた最初の記事で『どうして就職先として海上自衛隊を選んだのか』ということについて記事を書きました。

(参照:「就職先として」

しかし、就職を控えていきなり自衛隊を意識したというのではなく、少年期まで遡ってみるとやっぱり他にも伏線はあるようです。

今回はその辺にどこにでもいる少年が成長し、青年となって海上自衛隊に入隊するに至った経緯についてお話ししたいと思います。

 

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育った環境

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私の身近な親戚には自衛官はいませんでした。

父方祖母の妹の息子さん(つまりは父親のいとこ)が航空自衛官だったそうですが、当然のことながら面識はありません。(親戚として遠過ぎる)

旧軍関係で職業軍人だったのは父方祖父の弟(大叔父)で、この人は近衛師団の将校でした。

大叔父は兵卒から叩き上げで将校になったバリバリの職業軍人だったので、後に私が海上自衛隊幹部候補生学校に合格したことを知った時、

「江田島の海軍兵学校に行くのかっ!」

と自分の孫のことのように猛烈に喜んでくれた記憶があります。

 

また、生まれ育った北九州市には海上自衛隊の基地はありません。

関門海峡を挟んだ対岸の下関に掃海艇の基地隊が存在していたことを知ったのは入隊後のことでした。

北九州の小倉北区で生まれ、小学校4年生の時に父親が自宅を新築したことで八幡西区へと引っ越しましたが、この新居の近くに航空自衛隊芦屋基地がありました。

しかし、日常生活で自衛官を目にすることは相変わらずありませんでした。

 

突然の軍国少年化

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小学校1年生の時に『みなもとのよしつね』という本を読んで以来、歴史上の人物に関する伝記にハマり『歴史大好き少年』となった私は、その後歴史に関する図書を片っ端から読み漁っていました。

そんな中で『ゼロ戦』をテーマにした戦記シリーズに出会い、以後夢中になって海軍や軍艦に関する情報を入手するようになります。

これが小学校4年生のころでした。

 

また、どういう経路で入手したのか記憶はないものの『軍歌のカセットテープ』を所持しており、繰り返し聞いていました。

好きな歌は

「四百余州を挙る 十万余騎の敵」

で始まる『元寇』でした。

これを最終4番まで歌詞を見ずに歌うことができたので(現在は無理ですが)、その時点で昭和50年代の小学生としてはかなりのヘンタイです。(昭和20年以前であれば普通)

 

他にも

「ここはお国を何百里」

で始まる『戦友』も大好きでしたが、持っていたカセットテープは全ての歌詞を網羅していなかったので、断片的にしか知りませんでした。

しかし、小学校5年生の時に『戦友』を最終16番まで歌える友達と出会い、他にも同じ嗜好の小学生がいたということに感動します。

その感動がエスカレートして、放課後は近所の造成中だった住宅団地に行って『投石』『爆竹』『ロケット花火』『連発花火』などによる戦争ごっこにハマりました。

昭和50年代中頃とは思えない野蛮極まりない遊びです。

 

最初は谷を挟んで静かに投石をしていますが、その間にロケット花火部隊を中距離に移動させ一斉射撃で相手陣地をかく乱します。

最後は爆竹を持った決死隊による肉弾戦になりますが、相手の背中に爆竹を放り込むので服が焦げたりしていました。

火のついた爆竹を投げようとした時、予想以上に導火線の着火速度が早く耳元で爆発し、3日間くらい耳鳴りがすることも・・・

その結果、親にバレ、学校にバレて『火遊び禁止』という処分になりました。(火遊びは元々禁止でした)

自分でいうのもなんですが、本当に『ク〇ガキ』という表現以外は思い浮かばない少年時代だったと思います。

遊びが禁止になると子供の情熱はあっという間に冷めてしまうのもので、その後はしばらく興味の対象が『城跡』に移っていきました。

 

軍事に興味のなかった中学高校時代

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中学時代は軍事に対する興味も再燃することなく過ごしていましたが、中学3年生になって高校受験を控えた時に突然『少年自衛隊』の存在を知ることになります。

普通科高校に進学することは当たり前だと考えていたのですが、

ある時父親が、

「そういえば、オレは中学を卒業したら少年自衛隊に入りたかったんだよなぁ」

と突然のカミングアウト。

「給料貰って高校の勉強ができて、卒業したらそのまま自衛隊に就職できるけ。お前行ってみんか?」

といわれたものの、この時の自分は軟弱路線まっしぐらだったので、全く興味を示すことはありませんでした。

 

高校受験は県立高校と私立高校を受験し、両方無事に合格できました。

この私立高校というのが福岡市にある『福岡大学付属大濠高校』で、ここは防大に進学する者が多いことで有名です。

ある意味『防衛大学付属大濠高校』ともいえるでしょう(笑)

実際にこの学校を卒業した防大出身の同期はたくさんいます。

もし、この高校に入学していたら周囲の影響を受けて防大を受験した可能性は十分にあります。

 

しかし、この時はもう一つの合格校『県立八幡南高等学校』への進学を選択しました。

その決め手となったのは、同校に通う1学年上の親戚(女子)の

「南の制服、でったん可愛いけ~」

(注釈:八幡南高校の女子の制服は、すごく可愛いのよ)

という一言でした(笑)

最初から勉学意欲が欠如していたことが良く分かるエピソードですが、当然のごとく一番最初の中間試験から赤点(34点以下)だらけで、クラス45人中45番でした。(恐らく学年でも最下位だったでしょう)

 

その後、留年の危機を辛くも逃れ、私立大学が自分の比較的得意とする『世界史』『国語』そしてちょっと苦手な『英語』の3科目で受験できることを知り、高校3年生になって猛勉強(英語のみ)することになります。

結果として第一志望だった西南学院大学の文学部国際文化学科に合格することができました。

今で言えば『ビリギャル』みたいな感じですね。

卒業後もしばらくは高校の先生たちによって

「君たちの先輩で高校入学時に学年最下位だった奴が、西南学院大学に現役で合格している。だから君たちも頑張れ!」

と紹介されていたようです(汗)

高校時代も自衛隊や軍事に関する興味はほとんどありませんでした。

 

大学の授業でイラッとする

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大学に入学して早々に授業(一般教養科目)のあまりのつまらなさに嫌気がさして、以後は図書館で本を借りてきて読むだけの生活にハマります。

この時に古代中国関連の書籍『孫子』やクラウゼビッツの『戦争論』など、再び軍事に関する書籍に興味を覚えることとなります。

『歴史』を学ぶ上で『軍事』は絶対に避けて通れない課題だからです。

 

大学3年生で履修した国際関係論の近代ヨーロッパに関する講義の中で、前出の『戦争論』に関する内容が紹介されたのですが、講義のある部分(詳細は失念)の解釈について自分の解釈と異なっていたため少し突っこんで質問したところ、その先生は軍事についてあまり詳しくなかったようで(面子を潰されたと感じた?)

「そんなに軍事について知りたければ自衛隊にでも行け!」

と逆切れの延長で極めて切なアドバイスを頂けました(爆笑)

奇しくも湾岸戦争の前哨戦であるイラクのクエート侵攻の時期でもあり、その後は海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に派遣されるなど、それ以前に比べると自衛隊に関する報道量が各段に増えた時期だったといえます。

私の精神構造は基本的に『反骨』と『あまのじゃく』で構成されているので、この時感じた『イラッ』とした気持ちが自衛隊入隊への後押しとなったことは間違いありません。

 

記事のまとめ

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いかがだったでしょうか?

振り返ってみると自分が軍事に興味を持ったのは、歴史に対する興味の延長だったことが明らかにありました。

『三つ子の魂百まで』

とはよくいったもので小学生時代に芽生えた軍事に対する関心は、中学高校時代の無意識下でも枯れることなく生き続けていたということです。

また、学者が書籍の上で軍事を語ることに大いなる違和感を感じ、

「自分の目で見て、経験するによって軍事を理解したい」

と考えたことがその後の入隊に向けた行動へと繋がっていきます。

実際に現場に立って初めて分かったこともありますし、現場を経験したからこそ語れること、逆に語れないこともあります。

しかし、

「やってみて良かった」

という思いが変わることはありません。

 

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引用元:http://fireplace.blog76.fc2.com/blog-date-200704.html

 

今までも、そしてこれからも自分の過去を振り返る時には、仁王立ちして天に拳を突き上げた姿でこう言いたいです。

「我が自衛隊人生に一片の悔い無し」

と。

 

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