まえがき

今回の記事を書くにあたり、その内容が非常にデリケートな問題を含んでいるため、事前に説明が必要だと考えた結果、この『まえがき』を用意しました。

最初にお伝えしなければならないことは、今回の記事が私自身の自殺未遂に関する内容だということです。

この事実については、本当に限られた一部の関係者しか知らない内容であります。

それは、その後の勤務に支障がないようにという配慮に基づいてなされたことであって、事実が隠蔽されたというものではないと考えています。

 

このブログを始めた動機に直結することでもありますが、この事件は自分の経歴を語る上で避けようのない事実であります。

あえて、このような自分自身の暗い過去についてお話しするのは、次の理由によります。

  1. 記事にすることによって、改めて自分自身を客観的に見直す。
  2. 事実を公表することで、読者様各位に自殺という社会問題の一面について考えてもらいたい。
  3. 同じような境遇に直面している人に打開策の糸口を掴んでもらい、思い留まってほしい。

 

結果を先に申せばこの事件の後、実に多くの人達の力によって助けられ、支えられ、遂には完全に職場復帰するに至ります。

この時の感謝の気持ちが現在でも海上自衛隊に対する敬愛の源となっているのです。

逆に特定の個人や当時の職場環境に対する非難や批判などの気持ちは一切ありません。

全ては偶然、悪いタイミングの重なりによるものだったと理解しています。

なお、極力事実をありのままに記述することを心掛けていますので、その表現方法に不快感を感じる恐れがあります。

このことをあらかじめご理解いただいた上で、以下の本文をお読みいただければ幸いに存じます。

 

事件の前兆

約50日間の任務を終了し、後任部隊に引き継ぎを済ませて帰国の途に就きました。

日を追うごとにインド洋は遠くなり、同じ分だけ日本が近づいてきました。

目に見えない緊張感から次第に解放されていった感覚を今でもよく覚えています。

様々なストレスが原因で体調不良に陥っていた私も

「これで少しは症状も治まるだろう」

という安堵感を覚えていました。

 

護衛艦「さわぎり」は無事に母港である佐世保に入港し、乗員たちも出迎えに来た家族とともに我が家へと帰っていきました。

私も数日後に控えた帰国報告資料の整理を済ませ、久しぶりに官舎へ戻ることができ、ようやく職場から解放されました。

護衛艦という職場は仕事と生活が同じ空間で営まれるという点において、ストレスの蓄積は不可避だという永遠の課題を包括していると考えています。

 

徐々に平常勤務に戻ってゆき、直近に予定されていた隊訓練の準備などに没頭しつつあったある日、重大な事故が起こりました。

それは、第2護衛隊隷下の護衛艦「やまぎり」における潜水作業員の死亡事故でした。

事故の詳細についてはここでは触れませんが、私にとって海上自衛隊入隊以来初めて直面した隊員の死亡事故でした。

しかも、現に自分が乗艦中だった護衛艦の船底において、それは起こったのであります。

一人の人間の命が失われたという事実と駆けつけた遺族の発言が、私に大きな精神的ダメージを与えました。

更には事故の調査や報告等の事後処理などの業務に追われ、肉体的にも追い打ちをかけられたのです。

 

一瞬、全ての時間が止まった

殉職隊員の部隊葬が終了した頃、心身ともに極限状態にありました。

「人間の生命とは、一体どれほどの価値があるものだろうか」

もはや、そんなことすら理解できなくなっていたのです。

 

その日、いつものように不眠症のため、ほとんど眠ることができずに朝を迎えました。

朦朧とした意識の中、官舎のベランダから職場のある立神岸壁方面を見ているうちに

「もう二度と職場には行きたくない。このまま永遠に眠り続けることができたらどんなにいいだろう」

という考えが唐突に浮かんできました。

 

ベランダ(4F)から下をのぞき込むと、建物の手前側に植栽が確認できました。

「ここから飛び降りても植栽がクッションになり、成果は不確実だろう」

「仮に成功したとしても遺体の状態が悪くなり、それを目にした人に精神的後遺症を残してしまうかもしれない」

そう考えた私は、収納棚の引き出しにアウトドア用のナイフが収納してあることを思い出しました。

 

それを取り出すと、下着の中に隠し持って浴室に向かいました。

浴室ならば事後の処理(洗浄)が容易だろうと判断したからです。

空の浴槽に入り、血液が周囲の壁に飛び散らないように中腰の態勢になってナイフを左首筋の頸動脈付近に当て、その上に左手を添えて一気に下方に向けて引き抜きました。

ですが、態勢が悪く力が入りにくかったこと、ナイフの手入れが不十分で切れ味が悪かったこともあり、思ったほどの出血に至りませんでした。

改めて態勢を整えようとした時に、浴槽内の血のりで足を滑らせて大きな音を立ててしまいました。

 

いつもの出勤時間になっても、下着姿でうろついていることを不審に感じていた妻が浴室に駆けつけ、ついに未遂に終わることになったのです。

当の本人は、現実に何が起きているのか良く理解できていませんでした。

ベランダから飛び降りず、ナイフを持って浴室に行くなど一見冷静な行動をとっている反面、思いつきで短絡的に行動したことや同じ家の中に妻がいることなど完全に忘れて行為に及んだことを考慮すれば、著しく冷静な判断力を欠いているようでもあります。

 

その後、妻の運転で病院に行き外傷を治療し、その傷の理由を聞いた医師に心療内科の受診を勧められました。

心療内科での受診結果は『急性ストレス疾患』(正式名称は失念)という何だかよく分からない診断をされました。

患者が症状を訴えて受診した以上は、何らかの診断を出さざるを得ないからだと理解しています。

失血による貧血でめまいを感じながらもその足で艦に出勤して、直接司令に今後の勤務継続が不可能であることを伝えました。

その結果、当面の間自宅療養という措置になりました。

冷静に考えれば、最初からこうしておけば何の問題も起こらなかったのです。

もっとも、平常時にそのような申し出が受理されたかどうかについては、今となっては知る由もありません。

 

今だから分かること

当時の気持ちを振り返ってみると、未遂に終わってしまったことに対する『慙愧の念』が最も強いものでした。

「なぜ、ナイフを手入れしていなかったのか」

「一度家を出て、誰もいない場所で行えば成功していたのではないか」

などという思いに取りつかれていました。

若い頃から物事の『終わり方』に人一倍気を配ってきたにも関わらず、とんだ醜態をさらす羽目になってしまった自分に対する憤りだったのかもしれません。

 

事件から十数年経過した現在では、このような考えがいかに愚かで見当違いのものであったかということを、はっきりと理解することができます。

もしかするとあの瞬間以外は、一貫してそういう考えを保持していたのかもしれません。

『魔が差した』

という言葉がありますが、まさにその通りだと思います。

『自分が弱かった』

といってしまえば確かにその通りかもしれませんが、それだけでは説明できない何かが存在していたことは確かです。

様々な要件が偶然重なったタイミングで、心の平静という秤(はかり)がバランスを崩して一気に魔に傾いたというのが真相なのです。

 

「まさか自分がそんな落とし穴にはまるとは思わなかった」

今でも、当時のことを思い出すたびにそう感じます。

自分自身も他人からも『そういう(自殺するような)タイプではない』という評価を得ていたからです。

普段は平穏平静に暮らしている人でも、そんな『魔の落とし穴』に落ちる可能性があるということを知ってほしいと思います。

 

そして、何よりも自分という個性は良くも悪くもこの世の中に唯一無二の存在で、決して何者にも代わることはできないということを知ってほしいのです。

パソコンはシャットダウンしても、もう一度電源を入れれば立ち上がります。

ですが人間は完全にシャットダウンしたならば、もう二度と元に戻ることはできないのです。

『生命の尊厳』という漠然とした概念を、自殺未遂という経験によってはじめて実感に変えることができたのでした。

 

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