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翌朝、ようやく入港してきた「さわぎり」に乗艦し無事に着任しました。

着任の挨拶を済ませて、前任者(同期)との引き継ぎを行います。

 

引き継ぎと言っても、主として司令に対する不平不満と離任できる喜び、着任した私に対する同情といったものがほとんどでしたが・・・

そういう話を聞きつつも、

「今回の勤務は正念場だ。しっかり努めなければ」

と考えていました。

 

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しかし、現状はあまり楽観的なものではありませんでした。

今までは第3護衛隊群の司令部が諸業務の調整を担当してくれていました。

しかし、私の着任と時を同じくして、旗艦「はるな」とともに帰国の途に就くこととなっていたのです。

交代の群司令部が再び現地に到着するまでは、全ての業務を第2護衛隊で代行しなければならなかったのです。

既に給油活動に関する一連の業務内容は確立しており、その手順に従って淡々と業務を進めれば良いのですが、根本的な問題がありました。

 

群司令部はそれぞれ専門の幕僚(幹部)がいて所掌業務を行っているのですが、隊司令部には幕僚(幹部)は隊付(私)しかいないということです。

民間企業に例えると、部長のプロジェクトチームが担当していた業務を課長のプロジェクトチームが引き継いだような感じでしょうか。

業務処理内容は変わらないのに、担当者が一人しかいないとなれば、単純にオーバーワークとなるのは自明の理であります。

 

更に重要な問題として、私の提出する成果物が司令の求めるクオリティーに到達できないということにありました。

その主因は、私の幕僚としての資質(能力)の欠如が挙げられます。

今まで勤務してきた個艦の幹部としての経験では、解決できない幕僚特有の能力が必要とされていたからです。

 

次に司令に対する個人的感情の問題があります。

着任前から良くない噂を聞いていて、先入観があったことは事実です。

しかし、実際に会ってみるまでは分からないとも思っていました。

ですが、着任の挨拶を行った瞬間から疑惑は確信に変わりました。

最初から生理的に拒否反応を起こしたのです。

もちろん、私が起こした作用と同等の反作用が司令の感情にも生起したであろうことは想像に難くありません。

言葉として口に出さなくても、感情は目や態度に現れてしまうものだからです。

 

勤務環境も大きな要因の一つでした。

日本周辺海域で訓練を中心に活動している状況と、インド洋で実戦配備ともいえる状況では緊張感も違ってきます。

「自分がしっかりしなければいけない」

という強烈な自負心を持って着任したのですが、この心情が裏目に出て、愚直に徹してしまい思考の柔軟性を失っていたと思います。

本来の自分は、適当なところでガス抜きして上手くバランスを取るタイプだったにも関わらず、今回に限ってくそ真面目に真正面からぶつかってしまったのです。

 

唯一の救いは、隊勤務の人達が非常に優秀かつ人格者揃いだったということです。

隊暗号、隊電信、隊信号、隊庶務と呼ばれるいわゆる叩き上げの術科エキスパート集団です。

この人達がいたからこそ、日本に帰国するまで持ちこたえることができたと思っています。

ですが、彼らはあくまでも准尉及び海曹であるので、私との関係は内務的には分隊長と分隊員の関係にあり、上司と部下という建前を保持する必要があったのです。

 

隊勤務はその他にも隊補給長がいるのですが、「さわぎり」補給長が兼任しているため、隊勤務というよりも個艦の幹部としての役割が主体であります。

士官室には当然個艦の幹部が存在しますが、この当時の「さわぎり」士官室はまとまりに欠け、私が信頼し相談できるような幹部は存在しなかったのです。

 

これらの状況を総括すると、日本から遠く離れた灼熱のインド洋上において、苦手なタイプの指揮官の下、誰にも相談できない環境で、通常の隊勤務業務よりも多忙な生活を送っていたといえます。

このため、着任からわずか1週間の後には自律神経がおかしくなり、下痢、嘔吐、不眠及び幻聴などの症状に悩まされることになります。

しかし、このような非常事態陥ってもなお誰にも相談できず、ただひたすら帰国するまで我慢し続けたのです。

 

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