大湊、ホタテ

 大湊のイメージ(ホタテ)

 

護衛艦「さわぎり」でのエピソードはまだまだありますが、後日改めて外伝という形で記事にします。

物語を前に進めるため護衛艦「さわぎり」離任についてお話しすることにしましょう。

2004年8月2日付けで大湊地方総監部防衛部に配属される辞令を受けました。

配置は第3幕僚室業務主任で通称『N33』と呼ばれています。

主たる任務は大湊地方総監部の業務計画を作成することで、付随業務として他自衛隊(主に航空自衛隊)との訓練海域の調整なども担当しています。

その辺の詳しい話は改めて業務主任編でお話ししましょう。

 

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転勤の内示は大湊地方総監部防衛部

転勤の内示

 

この配置の内示を受けたのは約1か月前の7月初旬だったと記憶しています。

護衛艦「さわぎり」での勤務も1年と5か月が経過し、いつ転勤の話が来てもおかしくない状況でした。

内示を受けたのは司令からだったのか艦長だったのかは記憶が曖昧です。

「砲雷長、次の配置は大監(大湊地方総監部)の業務主任で内示がきてるけど、どうかな?」

海上自衛隊における転勤の内示は、必ずこのような感じで本人に事前確認をしてくれます。

個人的な事情であっても(子供が病気であるとか)、勤務地や配属先に関して融通を利かせてくれるのです。

私は全て『命のまま』なので、いつも内示のとおり発令されるのですが・・・

 

大湊はまだ一度も勤務経験のないところだったので、以前から勤務を希望している場所でした。

同時に大監(だいかん)の業務主任ということは陸上配置なので、

「これが最後の勤務になるだろう」

と確信しました。

以前の記事に書いたとおり、次に陸上部隊勤務になった時に退職すると決めていたからです。

この時点では自衛隊退職後は実家のある福岡に戻るつもりだったので、赴任旅費なしで福岡まで引っ越ししなければならないことが多少気になりましたが、その他は全く問題ありませんでした。

「喜んで大湊に行きます」

そう二つ返事で回答したのです。

 

残務整理

残務整理

 

「さわぎり」砲雷長としては1年半の比較的長い勤務期間であり、遠洋航海にも参加できたのでやり残したことは全くないという思いがありました。

最後の艦艇勤務として自分にできることは全てやったという完全燃焼に近い満足感を持っていたのです。

唯一の懸案事項は春に実施したミサイル射撃訓練の結果を報告する文書を発刊できていないことでした。

これは文書発刊に必要な『正規のデータ』がこの時点では受領出来ていなかったためです。(正規データの送付はかなり遅いのが通例)

ただし、『仮データ』はすでに届いていたため、これを元に司令まで仮決裁を頂いておいて、後日『正規のデータ』が届き次第、砲術士に回り持ちしてもらって発刊する段取りにしました。(後任の砲雷長は射撃に参加した当事者ではないので、これを申し継ぐのは不適当である)

これは『データ』の中身自体はほぼ変わらないのですが、正規版の発刊番号が必要だからです。

事前に内容について承認して頂いていれば、後は発刊番号が記入されていることを確認して頂くだけなので、そんなに難しい仕事ではありませんが、初任幹部である砲術士にとっては司令に決裁を頂くという行為はさぞや緊張したことでしょう。

しかし、そういう仕事のやり方というか段取りを見せてやれたことは、本人のためには勉強になっただろうと思います。

私がこの残務整理にこだわるのは、転勤のどさくさで『しれっと』でっかい置き土産を残す幹部が少なからず存在するからです。

この置き土産が残っているとマイナスからのスタートになるため、非常な労力を要するのです。

私がこの「さわぎり」に着任した時のように。

『立つ鳥跡を濁さず』というのは当たり前の様でなかなか難しいことなのかもしれませんね。

 

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離任当日の出来事

SH60

引用:http://www.mod.go.jp/msdf/formal/jmp/butai01.html

 

離任予定日は折しも群訓練の最終日で、佐世保に帰港次第すぐさま帽振れとなる予定でしたが、当日の朝になって異変が起こります。

当時の群旗艦「くらま」において海中転落事故が発生したため、部隊は佐世保を目の前にして反転し航跡を辿りつつ捜索活動を実施することとされたのです。

「これは、もしかすると転勤自体がなくなるかな?」

とも思いましたが、当日の転出入者はヘリで移送されることが決定します。

まずは後任者が陸上から移送されてきて、私も折り返しの便で佐世保に移送されることになりました。

長期にわたる群訓練を終え、母港佐世保に入港する直前の反転に意気消沈する部下達を残して離任することは後ろ髪を引かれる思いでしたが、こればかりは仕方のないことです。

 

急きょ洋上において帽振れ(見送り行事)が実施されることになり、当直員を除く総員がズラリと整列した後甲板に向かいます。

そして、合図とともに一人一人の顔を見ながら歩き出した時、ふいに胸に熱くこみ上げるものを感じました。

護衛艦における見送りの作法は、海曹士の整列している場所は敬礼(答礼)したまま通過し、幹部の整列場所では各人の前で

「お世話になりました」

と声掛けするのが慣例となっています。

このため海曹士の前を通過する際はお互いに無言なのですが、この時は自分の分隊員だけでなく他分隊の人も

「お疲れさまでした」

「お気をつけて」

と声には出さずに口の動きで伝えてくれました。

これは勤務期間が長かったことや遠洋航海という特殊な勤務形態によって、所属分隊を問わず多くの人とコミュニケーションを取ってきたからだろうと思います。

自分自身「さわぎり」全体が良くなるように全力を挙げてきたつもりでしたが、このように心のこもった見送りを受けてその努力が報われた思いがしたのです。

 

帽振れが終了した後、後甲板に待機したヘリに搭乗を済ませ上昇していくにつれ、護衛艦「さわぎり」の姿は小さくなっていきました。

甲板上や艦橋で手や帽子を振って見送ってくれる乗員達の姿もまた同様に小さくなっていき、やがて見えなくなりました。

しかし、心の中には小さくても暖かい気持ちがいつまでも残っていたのです。

 

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