2003年の国内巡航は自分たちが実習幹部時代の1993年に比べると、その期間も寄港地も縮小されていました。

幹部候補生学校卒業の時期は同じですが、海外への出発時期が大きく異なることが原因だと思います。

 

1993年(実習幹部)

国内巡航 3月20日~6月1日(途中GWを挟んで前期と後期に分かれていた)

遠洋航海 6月16日~11月12日

2003年(さわぎり砲雷長)

国内巡航 3月21日~4月7日

遠洋航海 4月24日~9月8日

 

大阪

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柱島を出て向かった国内巡航最初の寄港地は大阪でした。

大阪は自衛隊父兄会をはじめとする熱心な自衛隊支援団体が多数存在する場所です。

この時も盛大な歓迎を受け、江田島という聖地でひっそりとした生活を送ってきた実習幹部にとってもかなり刺激的だったようです。

感覚的には海外に行ってお会いする日系人の方々から受けるものと同等の歓迎度合いです。

この背景には阪神淡路震災の支援活動による影響を非常に強く感じます。

また、時代とともに自衛隊に対する期待が高まってきていることを肌で感じました。

このことは世界情勢が不安定になりつつあるという裏返しの現象でもあるので手放しで喜べる状況ではありませんが、主権者たる国民が自衛隊を正しく理解できるような環境が整ってきたことは、国家としてあるべき姿に近づいている証拠だろうと思いました。

自衛隊に対する好き嫌いの感情を語る前に、自衛隊という武力組織を過不足なく理解することが国民にとって必要なことだと考えているからです。

 

鳥羽沖(伊勢神宮)

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練習艦隊は大阪を出港後、紀伊半島沿いに航行し鳥羽沖に投錨、内火艇(艦艇搭載の小型ボート)で伊勢神宮へ参拝に向かいます。

自分が実習幹部の時は、大雨に見舞われ神域での雨衣着用が憚られた結果、ずぶ濡れになった記憶が鮮明に残っています。(この時、官品の階級章を着用していた実習幹部は、その色落ちによって白い詰襟の制服が黒く染まるという被害を受けている。因みに私は私物の階級章を着用していたため無事でした)

しかし、そんな肉体的な苦悩よりも自分自身が国を代表するものとして参拝に来たという事実に厳粛とした感情が沸き上がってきたことを思い出します。

伊勢神宮は日常の勤務では忘れがちな防人として本来あるべき心構えを呼び戻してくれる場所だといえます。

それは伊勢神宮が我々自衛官の守るべき日本の姿を具現化しているからではないでしょうか。

参拝から戻ってきた実習幹部達の表情を見ても、何か心に思うところがあったのだろうと感じました。

 

稚内・小樽

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鳥羽沖を発し、一気に北上して北海道へ向かいます。

稚内は海上自衛隊の基地分遣隊がありますので、半日の基地研修を行いました。

翌日南下して入港した小樽は過去に広報(体験航海)で入港経験がある港です。

小樽港といえば、米海軍の航空母艦入港に関して色々ともめている印象がありましたが、我々の入港時には特に支障はありませんでした。

それにしても、空母がよくあの狭い入口を通り抜けて接岸したものだと感心しました。

 

この季節の北海道はまだまだ寒さが残っており(岸壁にも残雪あり)、再び冬物コートの出番となりました。

小樽では特に実習幹部の引率任務もないので、夜になって普通に上陸しました。

この街の特徴は・・・物価が観光地価格でやたらと高騰していることでしょう。

海上自衛官にとっては、隣の余市(ミサイル艇部隊がある)の方が馴染みが深いといえます。

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大湊

キャプチャ

 

大湊は「ちくま」航海長時代に底触した因縁の地です。

港の入口が砂嘴になっているのですから、地形上砂の堆積によって水深変化が起きるということです。

人の手を加えず(浚渫作業)に数万年が経過すれば、湾口は塞がって『浜名湖』のような潟湖ができるでしょう。

改めて砂嘴部分にあたる芦崎方面を見ると、浅瀬部分は底が透けて海草が見えています(汗)

今回の入港当日は風も穏やかで風下に落とされる危険はありませんでしたが、早めの曳船待機を進言しました。

この大湊には1年半後に転任してくることになるのですが、この時はまだ知る由もありませんでした。

そして、この場所が海上自衛官として最後の任地となることも。

 

横須賀

出典:Wikipedia

出典:Wikipedia

 

大湊を出港して再び南下を続け、浦賀水道を通過して横須賀へ入港します。

ここ横須賀での入港期間は約3週間で、最終的な艦のメンテナンスを行うため中間修理を行いました。

他にも長期行動に備えて主に後方関係の業務(補給、予備品手配、免税品購入、外貨両替)の調整が行われました。

1分隊幹部の砲雷長としては、自分の所掌武器の状態確認と予備品の把握ができていれば良いので比較的のんびりとした期間でした。

実習幹部にとっては首都圏にある部隊研修をはじめ、海外で恥をかかないための洋食マナー講習などとにかく忙しい毎日に変わりはありません。

 

係留していた岸壁のすぐ目の前に、以前勤務していた『プログラム業務隊』があります。

既に転出から数年経過していますので、当時の顔見知りはほとんど残っていません。

代が変わって司令は以前お仕えした「しまかぜ」艦長、副長は「ちくま」艦長が着任されていることを知り、挨拶に伺うことにしました。

内線で連絡を入れ、まずは副長にご挨拶します。

 

副長(「ちくま」艦長)には航海長としてお仕えしたため、特別な親近感を感じていました。

以前の記事で『航海長は訓練の間はずっと艦橋に立ちっぱなしである』と紹介しましたが、その傍には常に艦長がいらっしゃるわけですから、ともに過ごす時間がとにかく長いのです。

通信士も艦橋配置で同じく長時間を過ごすため、艦長、航海長、通信士というのは運命共同体という意識が強いと思います。

この時も当時と変わらぬ親しみやすい雰囲気で、突然訪問した私を喜んで迎えて頂きました。

当時の「ちくま」通信士も横須賀地区で勤務しており、課業終了後に飲みに行くことを約束して昔話に花を咲かせていると、司令が外出から戻られました。

 

副長に

「司令には以前しまかぜ機関士としてお仕えしていました」

というと

「おお、それは是非挨拶した方がいいね」

ということになり、廊下向かいにある司令室に連れて行って頂きました。(司令室にはアポなしで直接伺うことは憚られるので)

私:「しまかぜ機関士、入ります!」

司:「???おぉー!松吉か?どうした、いきなり?元気だったか?」

と突然の来訪にも関わらず、歓迎して頂きました。

艦長と機関士は航海訓練になると士官室で食事をするとき以外は顔を合わせる機会もなくちょっと縁遠い印象でしたので、覚えていて下さったことが余計に嬉しく思いました。(艦長は艦橋、機関士は操縦室で勤務するため)

司:「ところで、二人は知り合いなのか?」

副:「ちくまの時に一緒でした」

司:「それじゃあ、ここにいる全員が舞鶴に縁があるということだな」

と、しばし舞鶴の話題で盛り上がりました。

海上自衛隊の良いところは、どこかで誰かが必ず繋がっていることだとしみじみ感じる一時となりました。

 

晴海へ回航

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横須賀で懐かしい時を過ごしつつ、中間修理も終了し準備万端整っていよいよ晴海に回航となりました。

晴海はいうまでもなく、日本国の海の表玄関です。

しかし、私にとってはこれが初めての晴海港でした。

 

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