2003遠洋航海-crop

 

タヒチを出た練習艦隊はフィジーを目指します。

タヒチからは一路西を目指して航海することになります。

航行する海域はハワイ、タヒチ、フィジーとトロピカルアイランドが続いて少々飽き気味であります。

この海域は行き合い船の影もまばらで、航行訓練には最高なのですがとにかく暑さは尋常ではありません。

それでも以前派遣されたインド洋に比べると、幾分吹く風が爽やかだったように思えます。

純粋に与えられたミッションの性質が異なるからかもしれませんが。

 

霧中航行

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航行訓練シリーズの第3弾になります。

今回は霧中航行訓練の概要について紹介します(具体的な数値は省略させていただきます)

海上で濃霧が発生して視界状況が悪くなるということは実は良くあることです。

普段有視界で確認できている船舶や障害物が見えなくなると非常に恐怖心が高まります。

人間が目隠しして歩いているような状況だからです。

そこで、規定の視界状況に達したならば、霧中航行部署を発動して安全に航行できる艦内態勢を確立する必要があるのです。

 

訓練は通常直で航行している状態から始まります。

「想定、本艦は霧の発生しやすい海域を航行中である・・・」

当直士官は各部の見張りに対し状況を示達し、見張りを厳となすよう指示を出します。

「想定、視界が急速に悪くなってきた現視界〇〇m」

艦橋の窓には白い布が被せられ、本当に何も見えない状態にします。

この想定を聞いた当直士官は艦長に状況を報告し、霧中航行部署を発動します。

 

部署が発動されると、艦橋には状況表示盤(自艦と他船舶との位置関係を相対的に把握する)が準備され、各部との連携強化のため伝令等が増員されます。

甲板上にも目視見張り員が配置され、それぞれの受け持ち範囲の目視及び聴音につとめます。(他船舶のエンジン音など)

聴音情報はソーナー室からも上がってきます。

一番重要なのはCICからのレーダー見張り情報で、これに基づいて艦橋の状況表示盤が逐次更新されていきます。

当直士官はこの情報を元に艦を運航していくのです。

 

ちなみに私が実習幹部時代に

「視界状況が回復するまで、艦を停止させ現海域に留まります」

といって艦を止めようとしたところ

「それじゃ、訓練にならん」

とこっぴどく叱られました。

最低の実習幹部(そして何かにつけて反抗的)だったとは思いますが、叱り方にもセンスとユーモアが欲しいなと思っていました。

私だったら・・・・まぁいいか。

私の教えた実習幹部たちはみんな素直ないい子で助かりました。

 

さて、この霧中航行訓練は国内では実目標もそれなりに航行していますが、遠洋航海では目標はほぼ皆無であるため、ほとんどが想定の目標になります。

想定目標ですから、わざとぶつかるように接近してくるため、当直士官はそれに適切に対応する必要があります。

また視界状況が段階的に悪くなる想定が追加して出されるため、それに応じて航行速力を落としていく必要があります。

基本は有視界の半分の距離で停止できる速力と決まっています。

 

国内で実際に霧中航行部署を発動した経験がありますが、訓練のように闇雲に近接してくる船舶はいないので非常に静かで淡々としています。

ですが、訓練では想定官の作成した危険な目標が次々と襲ってくるため、艦橋は情報が錯綜し狂乱状態となることもあります。

意図的にプレッシャーを高めて訓練しているのでやむを得ない部分もあるのですが、終了するとかなりの疲労感を覚える訓練の一つだといえます。

 

スバ

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フィジー共和国の首都がスバという街だということを一体どのくらいの人が認知しているでしょか。

私はもちろんこの訪問で初めて知りました。

また、一般的にフィジーと聞くとリゾートアイランドという印象ですが、首都スバはそれとは全く印象の異なった街です。

まさにスラム街の様相を呈していたからです。

住民はフィジー系とインド系が半々といった感じで、街を歩いていると東洋人が珍しいのか(若しくはカモだと認識されているのか)ジロジロと嘗め回すような視線を感じます。

実際、すれ違いざまにケツを触られた回数は数えきれません。

これはズボンの後ろポケットに入れていた財布(チェーン装着済み)に関心があったのか、それともケツそのものに関心があったのかは不明です。

触られた瞬間に振り返ると必ず

「そぉーりぃー」

といいながらニヤァーと笑います。(ニコッではなく)

いやいやいやいや・・・ないないないない。

いくら東洋人が若く見えるとはいえ、私は当時32歳の立派なおっさんです。

財布の方に関心があったと信じたいですね。

他に印象的だったのは、至る所でハト(大きさから推定)を焼いて売っている屋台が出ていたことです。

ハトの丸焼きって日本人にはビジュアル的に厳しいものがあります。(私だけ?)

街全体の雰囲気に影響され、『食べ物』というよりも『鳥の死骸』を焼いているようにしか見えません。

以上、首都スバの印象はケツとハトというリポートでした。

 

食事はインド系が多いだけあって、インドレストランが多数ありました。

他には世界中どこにでもある中華料理店(ここでは火鍋店が多かった)も多く、滞在中の外食はそのどちらかでした。

フィジー料理というのもあると思いますが、私はこの手の料理が苦手なので試していません。

これはハワイ、タヒチでも同様でココナッツ、豚肉、タロイモ、葉っぱなどによる南洋料理が全く受け付けないためです。

良く言えば素材の味を大事にしている。

悪く言えば味がボケている。

日常的に味の濃いジャンクフードで味覚が麻痺しているのが原因なのかもしれませんね。

 

日中は実習幹部の島内研修に引率幹部として参加しました。

 

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訪問先はカレブ文化センターだと推察されます。(記憶、記録ともになく検索で調べた結果)

 

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フィジーの伝統的な生活習慣を再現した施設で、日本でいえば京都太秦の映画村(エンターテイメント性に大きな格差があるが)になるのでしょうか。

 

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カヌーで園内を巡ります。(ちょっとユニバーサルスタジオみたいな感じ)

 

 

カヌーがポイントに近づくとスタッフが木陰から出てきて伝統ダンスなど披露してくれます。(再生ボタンを押すと音が出ますのでご注意ください)

 

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また伝統的な住居生活を再現している場所もあります。

ガイドは英語で解説してくれますが、イギリス英語ということもあり比較的聞き取り易かったと思います。

 

研修から戻り改めてフリーの上陸となりましたが、前回ハワイで散髪してから既に1か月が経過しており、そろそろ床屋に行きたいところです。

実習幹部時代はお互いにカットしていましたが、素人同士が見よう見まねで行うためアマゾンの原住民のような髪型になることが多かったです。

そんな中でも手先の器用な者は必ず存在していて、行列ができるカリスマ美容師へと変貌していきます。(ただし、せっかくの休養日にひたすら同期の髪を切り続け、後半はかなり嫌気がさしていた)

今回は個艦の幹部なので、実習幹部に比べて日中からフリーで上陸できる機会も多く、現地の床屋に行く時間的な余裕がありました。

 

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砲雷科幹部(砲術長、水雷長)と連れ立って市内の床屋を捜索し、無事に当初の目的を果たしました。

料金は日本円に換算して500円くらいだったと記憶しています。

さっぱりした後で夕食に行こうということになり、美容師のおばちゃんに地元のおすすめレストランを聞くと

「街中は治安が悪いから、私たちを連れて行った方がいい」

と猛烈なオファーを受けました。

私たちが快諾すると、早速娘達(血縁関係は不明)を電話で呼び出して店仕舞いしてしまいました。

今日はもう十分稼いだから、後はちゃっかりご馳走になろうということなのでしょう。

しかし、お互いにこんな機会は二度とないので、貴重な体験であったことは間違いありません。

 

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彼女たちはフィジアンで、インド系住民との確執など貴重な話を聞くことができました。

先に紹介したとおり、フィジアンとインド系住民はほぼ半々の割合で、しかも経済面は移民であるインド系が掌握しているという現状なのです。

当然ながら先住者であるフィジアン達の不平不満は大きく、2000年5月にはクーデターも発生しています。

フィジーへの寄港はこのクーデターから僅か3年しか経過していない時期なので、それが街中の不穏な雰囲気の原因なのだと得心しました。

移民問題の抱える闇の部分を垣間見た一時となりました。

 

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