部隊配属になって、今までと最も異なる点は間接的であるにせよ部下ができることと、自分の所掌業務とそれに伴う責任が発生することでしょう。
幹部候補生学校を始めとして、各種教育機関入校中はこの部下に対する責任がないため、自分自身を律するだけで良い気楽さがあります。
練習艦隊では幹部ではあるけれど、乗員にとっては人事権もなく何もしてくれない(利益をもたらさない)存在であるがゆえにゴミのように扱われます。
個艦の幹部として自分の所掌業務に伴う責任を果たすからこそ、海曹士から敬意を払われるわけです。
初めての部隊配属となった『護衛艦せんだい』において、最初に感じたのはこのことでした。
そして、大変ではあるが自分の居場所がそこにあるということを認識できたのです。
練習艦隊や母の死によって、すっかり海上自衛隊勤務に嫌気がさしていた自分にとって、ちょっとした心境の変化の現れでした。
とにかくこの一年はやり抜こう
人間とは他者から必要とされると力を発揮できるようになっているのだとつくづく思います。
「俺がやらねば、誰がやる」という気持ちでとにかく、気持ち的に一歩も引かずに頑張ったのがこの一年目の勤務でした。
所掌業務として、もっとも印象に残っているのは教育訓練係補佐としての週間予定表、月間予定表の作成でした。
着任後の乗員失踪事件のどたばたが収まったころ、
「通信士(私のことです)、週間予定表作ってるか?」と航海長に聞かれます。
「!?」(そういえば、任務船務に行く前の申し継ぎでそんなこと言われていたかも?)
「・・・早く作るように」
「やばっ、どうやって作ればいい?そもそも週間予定表ってなんだっけ?」と慌てて調べます。
そしてたくさんの罫線で囲まれ、びっしりと予定が書きこまれた紙(週間予定表)を発見。
「・・・これワープロで作るのか・・・」途方にくれます。
なぜなら、
「部隊に行ったら必ず必要になるから」
といわれ、任務船務入校中に急きょ購入したワープロ(パソコンではない)は、この時点ではまだ新品のまま箱に入っていたからでした。
過去にワープロを使用した経験もありません。
その日一晩かかって説明書を読みながら、出来上がったのは白い罫線の枠だけでした。
週間予定表は次週の予定ですから、金曜日までには発刊して艦内の各部に配布しなければなりません。
そう、時間的制限が決まっているのです。
日中は初級幹部として、通信士として、分隊士として、なんだかんだと覚えることやることが目白押しです。
そこで、落ち着いてワープロに迎えるのは必然的に夜だけとなります。(この頃は艦内居住なので、夜は私室でエンドレスに仕事できる)
過去の週間予定表を参考にしながら、月間予定表の該当項目を盛り込み、なんとか合議の持ち周りできるところまでこぎつけます。
翌朝、すでに発刊期限の金曜日がやってきました。
いろんな業務の合間をぬって、各幹部に合議(所掌に関する追記をしてもらい、印鑑またはサインをもらう)してもらい、夕方になってようやく艦長の決済にたどり着けました。
「なんとか、間に合ったー」
と安堵のため息をつく私の手元には、各幹部から修正され真っ赤になった原義(合議のために作成した案)が残されていました。
ホッとしたのもつかの間で、今度はその原義に書かれた内容を清書して発刊しなければならないのです。
本来は金曜日の夕刻までに、各部に配布されていなければならないものですが、修正し発刊番号を取って各部に配布(本来は庶務がやってくれるが、金曜日の期限に間に合わなかったので自分で配布)完了できたのは、土曜日の夕方でした。
「・・・来週はもっと早めに原義を作成しよう・・・」
身をもって体験した良い教訓です。
週間予定表は、誰しも苦労するアイテムのようですね。
一年目の船で、同期が通信士で同じことをやっていましたが、やっぱり苦労していました。まだ、手書きでした。
当時は、八艦八機体制が完成したばかりで、とにかく訓練(出港)が多く、一年で定係港以外には佐世保とアメリカ(派米)にしか入港しませんでした。
週間予定表に書くことは、ほとんど訓練。訓練の予定は般命に書いてあるので、そんなに大変かなと思っていましたが、やってみないと大変さはわからないのでしょうね。
雷蔵 様
手書き時代のことは話には聞いたことがあります。
最終的な清書を庶務にお願いできるので、羨ましいなと思っていました(笑)
もちろん、手書きには手書きの苦労があるのでしょうが…