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てしお水雷長としての勤務も終盤に近付いてきたころ、飛行幹部のミニ遠洋航海に従事しました。

編成は第33護衛隊「てしお」「ちとせ」の2艦になります。

 

飛行幹部とは、海上自衛隊航空学生出身者で幹部候補生学校を卒業する者のことをいいます。

彼らは入隊以来航空部隊で勤務してきて、幹部候補生学校卒業後も航空部隊で勤務してゆくのですが、海上自衛官としての素養を身に着けるため護衛艦実習が義務づけられていました。

 

この点において、一般幹部候補生出身者の遠洋練習航海とは大きく性質が異なります。

護衛艦の業務を習得するのではなく、体験することが目的となりますから実習する側もさせる側も気分的に楽なのです。(主観100%ですが)

また、行動エリアも狭く、期間も短い(約40日程度)ことからミニ遠洋航海と呼ばれています。

 

ちょっとした卒業旅行といった風情ですね。

しかし、勤務した畑は違えども、既に部隊で勤務してきた彼らの適応力の高さには感嘆すべきものがあります。

個々人の能力の高さもさることながら航空学生時代からの絆が強く、それが見事なチームワークとして発揮され、慣れないはずの護衛艦実習も難なくこなしてしまいます。

先の大戦で諸外国から評価の高かった海鷲達の実力は現在でも健在なのです。

 

さて、私にとっては自身の遠洋練習航海から帰ってきて以来、初めての海外行動となりました。

しかも、今度は個艦の幹部であり、実習をさせる側として。

実習幹部としての私は、お世辞にも褒められるような存在ではなかったことを自認しております。

だからこそ実習を受ける側がモチベーションを下げる要素については、十分に理解出来るという強みもありました。

日本を出港し、先ずは小笠原諸島の父島を目指します。

 

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父 島

春先の小笠原周辺海域は非常に荒れています。

当時乗艦していた護衛艦「てしお」は、この時既に艦齢20年を超える老齢艦であり、艦首にでっかいソーナードームを装備していることも手伝って、その揺れっぷりは筆舌しがたいものがありました。

そしてその動揺は人間だけではなく、装備にも容赦なく襲いかかったのでした。

水雷長の所掌武器であるアスロックランチャーの故障です。

 

父島に向けて航行中、毎朝実施している日施点検中に機器の作動不良が発見され、それからは不具合個所の特定、艦長への報告、予備品調達の連絡などに忙殺される日々が続きました。

なんとか父島入港までに手配が完了し、復旧させることができましたが、父島に上陸することはできませんでした。

この数年後に「さわぎり砲雷長」として、再度父島に入港しますが、この時も所掌武器の短SAMが故障し上陸することはできませんでした。

・・・父島は、私にとって縁の薄い場所の様です。

 

グアム

父島を出港し、南下し続けること1週間(直行ではありませんが)でグアムに入港です。

実習幹部を引率して米軍施設の研修や、スポーツ交流などで日中を過ごし、夜は市街に食事に行ったりしました。

 

先の大戦において、グアムを失ったことが本土空襲に繋がったことを思えば、今こうして米軍施設を研修していることに歴史の重みを感じざるを得ません。

そしてこのグアムを失う時に多くの民間人、軍人の命が失われたことを思えば、自分の立っている地面の下に彼ら先人の存在を感じざるを得ません。

彼らが散った同じ場所同じ海で娯楽に興じる多くの日本人観光客を見ると、余計に複雑な気持ちになりました。

今回のミニ遠洋航海はこの後、フィリピン、沖縄と戦跡を巡る慰霊の航海でもあるのでした。

 

フィリピン

グアム出港から更に1週間程度の航海の後、フィリピンのマニラ港に入港です。

水雷長は入港時の配置が前部指揮官であるため、映画タイタニックの主人公よろしく艦首付近に仁王立ちしているのですが、とにかく海の汚さに閉口しました。

汚いだけでなく、臭いがすごいのです。

多量のゴミが浮遊しており、その中には牛の死骸なども含まれていました。

恐るべしマニラ港。

 

2003年に再訪した時は、多少改善されていた気がします。(少なくとも牛の死骸は浮いていませんでした)

入港後はやはり米軍基地の研修やスポーツ交換、慰霊祭などに参加して過ごします。

一般的に港湾付近というのは治安が悪いものですが、ここマニラも御多分にもれずスリリングなものでした。

港湾警備している現地警察から「警官バッジを買わないか」と持ちかけられたり、ひどい時にはその腰の物でさえ売ろうとする姿勢に軽い衝撃を覚えました。

そういう混沌もまたアジアの現状なのだと思いますが。

 

沖 縄

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フィリピンを出港し、約1週間で沖縄へ入港します。

私にとって、これが人生初の沖縄訪問になります。

沖縄にはこの後も何度も入港することになりますが、いつも複雑な感情に悩まされることになります。

島全体が戦場になり、多くの犠牲者が出たことに対する哀悼の念。

それによって生じる反戦感情を他国によって歪められ利用されているという事実。

地政学的な戦略価値と住民気質との乖離。

ここ沖縄において戦争は70年前の歴史などではなく、現実そのものだということです。

 

沖縄入港中に転勤の内示を受けました。

行先は舞鶴の第31護衛隊、護衛艦「ちくま」航海長です。

初めての『補職の職』であります。

 

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