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自宅療養中に海幕人事課補任班の方から呼び出しを受けて、総監部に出向きました。

今回の事件の実情について、話を聞きたいという趣旨でした。

私の勤務経歴については、事前に調査済みで

「今までずっと良い指揮官に恵まれてきたみたいだね」

「そういう意味では、今回の配置はちょっと免疫不足だったかな?」

というような話をされました。

このような事態になった以上、退職を考えていると申し出ましたが

「今はまだ結論を急がずに、落ち着てからゆっくり考えればいいよ」

ということで退職は保留とされました。

 

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8月になって、第2護衛隊司令が交代されることになり、後任の新司令から

「着任行事を手伝ってもらいたいので、一度顔を出してほしい」

と連絡を頂きました。

この時点では、未だ第2護衛隊隊勤務の身分で自宅待機となっていたからです。

とはいえ着任行事に関して、今更私が役に立てることなどあろうはずもなく、真意を測りかねていました。

実は隊信をはじめとする隊勤務の皆さんが

「隊付(私のこと)は気持ちのいい人間なので、何とか救ってやってほしい」

と猛烈にアピールしてくれていたのです。

 

一連の着任行事(黒塗りの車でなく、自転車で颯爽と乗り付けるというユニークな着任式だった)についてお手伝いさせて頂いたところ、その様子をご覧になって

「なんだ、思ったよりも元気そうじゃないか」

「気分を変えて、改めて俺に仕えてみないか?」

とお誘いをうけました。

しかし、この時は事件を起こした自責の念が強く、司令が交代したから復職したというのでは単なる我儘に過ぎないと感じていたため、辞退させて頂きました。

これが新司令から受けた最初の温情でした。

 

数週間の自宅療養待機の後、佐世保基地業務隊(補充部付)に配属となりました。

ここは病気療養中の隊員や退職前の隊員が部隊の所属を離れて一時的に配属される部隊です。

外傷については自宅療養中に癒えてきたこともあり、病院ではなく補充部に配置されることになったのです。

この部隊で私がやらなければならない仕事は何もありません。

定時に出勤し、定時に帰宅する。

事故の再発がないように、毎日顔を見せ続けることが仕事だったのです。

 

しばらくすると体調も徐々に回復し、水泳など軽い運動ができるようになってきました。

運動をすれば自然にお腹も空いて、食事ができるようになります。

また、運動によって適度な疲労感を感じることにより、夜の自然な睡眠を取ることができるようになりました。

このように私は再び人間らしい生活を取り戻していったのです。

 

約1か月にわたる補充部での生活を経て再び活力を取り戻した頃、佐世保基地業務隊司令に呼ばれます。

当時の司令は、私が横須賀のプログラム業務隊で勤務した時の第1科長でした。

補充部で過ごすうちに服装容疑にも無頓着となり、生意気にも鼻ヒゲなど生やしていた私の姿を見て苦笑しながら

「なんだ、その鼻の下の汚いものは?似合わないから剃っちまえよ」

と冗談交じりにおっしゃいました。(半分は本気で。ヒゲは権威に対する反抗の象徴なので)

「そろそろ体調も戻ったようだし、陸上部隊に復帰してみるつもりはないか?」

そういって内示された部隊が佐世保海上訓練指導隊隷下の対潜戦術科訓練指導班でした。

 

この部隊は対潜戦術科能力向上のため、護衛艦の環境を模擬した訓練装置を使用して各艦の対潜チームを指導することを目的としており、指導官は対潜術科のエキスパートが集まっているという印象でした。

「そんな部隊に行って、私に指導官が務まるだろうか?」

という疑問を感じてはいましたが、私のために格別の配慮を賜った皆様に対し、復帰した姿を見せて少しでも恩返ししたいという気持ちが強くなり、この転属を受けることにしました。

 

こうして事件から3か月という期間を経て、通常部隊勤務へと復帰することになりました。

奇しくも人生で初めての挫折経験によって、人の深い温情を知ることとなりました。

それがその後の人生に、どれほど救いになったかについてはいうまでもありません。

あの瞬間からずっと止まったままだった時計が、再び動き出したのです。

 

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