はじめに 過去の自分について正直に告白すると、私は非常に鼻持ちならない人間でした。 それは、いわゆる癇が強いという類の性質を持ち合わせていたからでしょう。 特に若い頃はその傾向がより顕著だったように思います。  ・・・
「教訓」タグの記事一覧
彼を知り己を知れば百戦危うからず
自分の身銭をきって新聞を定期購読しなくなってから久しいのですが、職場に新聞が置いてあるため何気なく読んでいて感じたことをお話しします。 また、この記事を書こうと思った動機は、現在進行形で安保法制をめぐる一連・・・
指揮官の大事な要素『運』
東郷平八郎元帥の場合 かの日本海海戦において、空前の大勝利を収めた東郷平八郎元帥が連合艦隊司令長官に推された時のエピソードは有名です。 時の海軍大臣である山本権兵衛によって明治天皇に推挙されたその理由とは 「東郷は運のい・・・
言った言わないは言った者の責任
しまかぜ機関士の時に艦長から指導され、現在もなお印象深い言葉です。 詳細な経緯は失念しましたが、何かの報告事項についてのやり取りだったと思います。 自分としては確かに艦長に報告した事項について・・・
海上自衛隊のマネジメント
私の独断と偏見による海上自衛隊のマネジメントについて考察してみます。 とかく若手幹部にはたくさんの業務(雑務)が与えられます。 当時は「もう少し適切な業務の割り当てにして欲しいなあ」などと考え・・・
最大の失敗
機関士としての勤務も後半に入り、大きな海上演習を控えている頃の話です。 士官室での昼食時に艦長から 「(機関士が終了して)次の配置では、1分隊幹部になるだろうから、リハビリを兼ねて次の演習時は艦橋で立直した・・・
2等海尉に昇任!
1995年7月1日付で2等海尉に昇任しました。 前回は幹部候補生学校の卒業と同時(1993年3月20日)に昇任しましたので、約2年3か月の3等海尉生活でした。 2等海尉になると外見上は細い金線が1本追加され・・・
仕事の分担
私が体育係士官として、思い出に残っている教訓についてお話しします。 護衛艦『せんだい』は僚艦『おおよど』『とね』とともに第39護衛隊に所属しておりました。 隊の中ではそれぞれ術科担当艦というものが決まってい・・・